奈良人形の由来
奈良人形は古代より春日若宮御祭礼坊用の島台、田楽法師笛工の花笠に使用され高砂、翁、猩々三大臣等の木偶に始まり此彫刻に従事する者を春日桧物師と言って世襲の職業であった。春日神殿は伊勢大廟と共に、二十一年目毎に造営され此の際桧の古材を払ひ下げ彫刻の材料としたのである。奈良人形は魔除けとされ愛好されるようになったのである。しばらくして極めて素朴な木偶を彫刻してる中に江戸時代の宝永年間に岡野松寿が現われ当時は金春流謡曲が奈良に最も盛んであったので木偶の意匠を自ら此方面に取り入れられたのである。其後天保年間には斯道中興の祖と称せられた。森川杜園及び其の友人である瀬谷桃源が出て従来の彫法に各々一家の彫法を案出し遂に今日の如き、一刀彫の精華を発揮したのである。
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